最初は冷やかし半分で登録したBlog Action Dayですが、深いテーマですね。
「貧困」
一方でフラット化する世界において、貧富の二極化が進む現実。
他方で、ビル・クリントンやビル・ゲイツが(例え税対策で有っても)アフリカで精力的に慈善事業を展開する実態。
貧困が、ビジネスの道具である事は資本主義社会において間違いないですが、行き着く先には本当に「フラットな」理想郷があるのか?
貧困が、社会への、そして世界へのあらゆる参加機会を阻害する事が、貧困を悪足らしめる最大の理由だと私は思います。
その要因は様々でしょう。金銭。所属するコミュニティ。政治統制。国家経済。労働機会。
Blogは、メディアです。
アフィリエイトで一日に数百万円稼ごうが、趣味で楽しく公開しようが、それは結果であって媒体としてのメディアである事は疑う余地が有りません。文字に加えて画像・動画等のデジタルメディアが媒介ツールで有るがゆえに、メディアとしての本質が、薄れる事もありますがBlogの持つ力=それは「言論力」。
中国で共産党統制にBlogで反論するジャーナリストが居るように、アルカイダがBlogで世界のテロリストのベクトルを統率するように。
その言論力で、メディアとしてのBlogが、貧困に対して何ができるか?
個人的には悲観的です。例えBlog収益を 所謂 貧困国へdonateしても、それが「貧困」という対象を根本から変える事にはならない。
変革できるのは、貧困を定義しようとしている我々の考え方そのものでしょう。
Blogというメディアを通じて発信する事で、貧困に対する自分自身の認識を改める事。「書くことにより改めて知る」「等身大のメディアを通じたメッセージを、自分の中へ取り込む」この二つを通じて、貧困に対する考え方を再定義する事がどれだけできるか?
このBlogを読んで下さっている方へ、そして自分自身へ問います。
成熟国家=老人、貧困国家=餓死寸前の赤ん坊、としましょう。老人が赤ん坊にできる事は、食料をを買ってあげる事だけでしょうか?
赤ん坊は、飢え死にを免れるかもしれません。が、育った赤ん坊が将来、世界を破滅させてしまうとしても、あなたは食事を分け与えますか?
見過ごす事はできません。が、むやみに与えることも間違っている。
我々が間違えた教訓を、どう伝えるか。それを、我々の日常にどう反映させられるか。どう実行するか。
それこそが、Blog Action Dayを通じて我々が貧困に取り組むことのできる一番の効果だと思います。