海外に長いこと暮らしていると、日本を相対化して捉えられる目、みたいなものが備わってきます。単一民&表面上の均質化社会にずっといると、複数民族&各社社会に触れることで、母国の構造がより見えてくる、という感じでしょうか。 4月27日の渡辺千賀さんのブログが若干センセーショナルな内容でしたのでこちらで論を広げてみたいと思い。 渡辺さんは商社→戦コン→コンサル起業というプロセスを経ていらっしゃる方で、以前から切れ味のよい分析と筆致で興味深くブログを拝見してました。 渡辺さん、曰く;
1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。
で、渡辺さんの描く20年後の日本の姿はこんな感じ;
●ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
●ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
●ワーストケース:閉塞感と絶望と貧困に苛まされる層が増加、右傾化・極端で独りよがりな国粋主義の台頭を促す。
確かに海外在住の日本人として、的を得た指摘のような気がします。が、Regainここは反論があり。世界が垂直統合からフラット化する過程において、渡辺さんが描いたようなプロセスは先進国においてはある種必然のケースであって、日本固有の要因と、外部との相対比較的な要因があるはず。同じようなスタンスで見れば、フランスやアメリカは、そしてシリコンバレーがどうなっているのかを想起した上で議論を展開したほうが、より説得力があるのでは。。と。 渡辺さんの主旨に、ある種賛同の念は禁じ得ませんが、海外に住むことを選択した渡辺さんだからこそ言える特権的な(「言っちゃったもん勝ち」)みたいなところを感じてしまうのは、不肖Regainの至らなさだけではない筈と信じます。 日本を捨てて海外へ、なのか、日本よりいいところだから海外へ、によって、個人の「日本」に対する思い入れや愛情は変わると思いますが、つねづねBlogを見ている限り、渡辺さんは本質的には「日本が好き」な方なのですが、その裏返しとして書かれているように思われ。 (大好きな人に「アンタ嫌い」と言ってるような)
渡辺さんの文章が一人歩きして、更に日本衰退論や国外流出論が蔓延しないことを願うばかり。 Regainは、日本に居を構え、日本人として世界と互角に勝負できる人間を目指します。 あ、言いたい事は、どこにいても明治初期 or 敗戦直後の日本人のごとく、ハングリー精神&起業マインドを忘れず、繊細な日本人であり続けたい、という事なんですけど。
うー、いつか渡辺さんと熱く語りたいなあ。
On/Off and beyond テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし
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