いわゆる「定職」にあった状態から数か月が過ぎました。
会社という「居場所」を離れてみてわかることというのは本当に多いです。
最初はこの制約の無い環境と、それを選んだ自分を(自分で)奮い立たせるようなアドレナリンが出ていますし、友人・知人とお会いする際にもなんというか「この道を選んでしまった」的な、変な誇らしさがあって気持ち良いのですが、数か月もすると大きく変化が出てくるのを感じます。
「定職」へのノスタルジーを若干感じながら、そうしたいくつかの点について書いてみようと思います。
1) 「会議」は、重要である。
どんな組織であっても、日常的にあってかなり「無駄」を感じながら出席することも多い「会議」。ただ座っているだけの人も、積極的に会話に参加する人も様々ですが、「会話」であり、「議論」をする空気であったり、その情報の応酬というのは「個人」単体では全く成立しない(反芻することはあるけれども)。
極端にいうと、誰とも話さない・話す必要が無くなるわけです。
前職からの離脱の重要要素の一つとして、家族との会話を大切にすることを位置付けていたのでできるだけ夫婦の時間を大切にすることで「会話する生き物」として成り立っているような気がしますが、『「人と人の会話」「人の存在なくして自分なし』 ということは本当に思います。
在職中のみんな、もっと会議は楽しんだほうがいいですよー。
2) 個人で仕組みを作る、ということは誰から認められるものでもなく、そして非常に寡黙な作業である。
定職に就かない=何もしていない、訳ではなく、かねてから必要だと思っていた「最低限の安定的な収入確保・仕組み構築」をシコシコと行いながら日々を過ごしているRegainですが、これまた、個人で活動することの孤独さを思い知らされることでもあります。
会社で業務として何かを行う=仕事をする=場合、そのアウトプットを必ず求められますし、経過報告をすることは必須ですが、これも必要がなくなります。その反面、自分でビジネススキームというかお金を得る仕組みを作る過程において、誰かに声を大にして自慢したり、確認を求めたい部分もあるのですが、そういう「対象」がほぼ皆無になります。
幸いというか、離職する直前に知り合った同志と呼べる存在がいて、ゆるやかなネットワークを作っているので、まだこの点に関してもRegainの場合はなんとか「皆無」からは逃れられているのですが、それにしても独身でこういう状態だったらと思うとソッとします。
3) 経営者を志す(というか、個人事業の経営者)、というのは言葉の響きとは裏腹に、非常に地道なプロセスである。
たとえば、大企業において社長を志すというモードで仕事をするときにはドラッカーなりを熟読し、マネジメントの要諦を日々自学しつつそれをリアルに実践することも可能。 他方、個人レベルになるとそんなことは「ほぼ」どうでもよくなり、日々の売上や利益、営業活動のパフォーマンスなどに全力投球しなければ個人の事業自体が存続しなくなるわけです。
なおかつ、税金対策や数少ない従業員(または外注さん)などが辞めないよう、それでいて上手くコントロールできるような人間関係を構築したり、、など、おおよそ大企業レベルの目線で見た際の経営者と、個人レベルでの事業規模でみえる「経営者」というのは、全く異なるものであるという点、これから「離職」に踏み切ろうとしている準マネジメント職の人は十分に気を付けた方がよいと思います。 ああ、「マネジメント」「経営」が美しく聞こえていたのは、ある種の幻想だったのかも」と思わせられる局面に何度も出会うのではと思います。
4)他者への貢献があって、初めて価値を生む。
言わずもがなですが、身一つで「お金になる」「お金を得る」とはどういうことか、いかに難しいことなのかを感じることが多々出てきます。
「定職時代」の杵柄で、友人から呼ばれて転職、という方向ではなく、自分の身で何か「食べてゆく」ということは、お金を得られるだけのサービスを自分が提供できているかを真剣に問い直す良い機会でもあります(現在のRegainはそんな悠長なこと言ってられませんが)。
つまり、人と会う時間、というのも、常に自分が提供できる価値は何か、そこから何を作る・提案できるか、を念頭に置いて日々の活動を行わない限り「薄い人間関係ネットワーク」だけがシャビシャビと広がっていって、結局何にもならない、ということになりかねません。
興味あるものにすべて顔を出すのもある時期までは非常に有効でしょうが、期限を切って、そこから先は大きく絞り込むアクションが必要なんではとも思います。
。。。とはいえ、現在のRegainの目標は「会社に依存することのない安定収入(食っていくだけの)」仕組みを構築すること。 これをノスタルジーに惹かれて諦めるつもりもないんですけどね。 (胡散臭いアフィリエイトとかではないので、どうかご安心くださいませ)
これが一通りできるようになるにはもう少し時間がかかりますが、何とか形にしなければと日々必死。
決してのほほんとしている訳ではなく、上述の通り、迫りくる得体のしれない恐怖みたいなものと戦いながら日々奮闘中のRegainでした。
おそまつさまでした。