ちょっと与太話。
30年前はかけだしベンチャーだったのですが今では世界に名を馳せる、
とあるメーカーの方と飲んでいて聞いた話です。
ある開発者がいました。
その人は、自分の開発した技術を世のため人のために役立てたいとい言うことで、
仲間を募って会社を起こし、その技術を搭載した製品を世の中に送り出しました。
世の中では、その開発者の持つ特許は世界でも類を見ないものとして賞賛されました。
ただ、この製品は、エンドユーザーが買うには大層高価なもので、地域や公共団体のサポートがないと、使う場所を提供できないものでした。
10数年の月日が、流れました。
少しずつではありますが、その良さが国内外で認められ、
エンドユーザーからは「どうしてもあの製品を使いたい」という人の声も強く寄せられるようになりました。
販売の数も、それなりに影響力のあるものになり、製品の良さを伝える支援者や代理店もちらほらと増えてきました。
使う地域が、点から、面に広がりました。
ところが、その開発者は、エンドユーザーに使ってもらえる為の、サポーター作りが非常に苦手だったのです。
来るものは拒まず。
しかし、自分から「使われる場所を変える」ことには消極的なその開発者は、
エンドユーザーの声は着実に反映させた新製品を作り続けました。
結果、どうなったか。
賛同者の得られない素晴らしい製品は、競合他社の登場と、製品のコモディティ化によって、一つの伝説にはなりましたが、そこで終わりました。
一人の人を喜ばせること・ご満足をいただくことは重要です。
そして、そのお一人の声を広げ、増やし、繋げ、社会を「変える」仕組みを作り出すことに繋げることが、いかに難しいか。
社会を「変える」ことを目的に製品を開発するはそもそも非常に難しい。
ただ、生まれたシーズをどう「望まれるかたち」に育てるか、も難しい。
およそ、全てのビジネスは一定のインパクトを(個人の相対としても、共同体としても)社会に及ぼすものだとすると、
「場所をつくること」の難しさだったり、必要性だったりは改めて認識されてもいいのかも?と思わせられるエピソードでした。
さ、昨日の話を参考に、今日もがんばろー。
photo by Seattle Municipal Archives
photo by Kamaljith