今日も元気にベンチャーづとめのRegainです。
医療系ベンチャーなので、今日は障がい者施設、と一般的に呼ばれているところへサービスの説明にお邪魔してきました。
車でオフィスから約1時間のところに、その施設はありました。
3階建てで、昔はきっとレストランかホテル?であろう面影を残す、見る確度からは結構素敵な施設と言えなくもありません。
その場所に一歩、足を踏み入れた時に聞こえたんです。
洗濯バサミを作る音が。そこでは作ってもいないのに。
いや、厳密には「洗濯バサミを作る音」というのは抽象的すぎますので、「洗濯バサミを組み立てる際の、人の衣擦れやプラスチックのこすれる音」とでも言いましょうか。
なぜか?
Regainにとって、答えはすごく明白なんです。
それこそ幼少のころ、Regainの母は障がい者の方を支援する「作業所」のお手伝いをしていて、よくRegainも連れて行かれたから。その場で自分で洗濯バサミを作ることもしましたし、みんなと一緒に遊んだりもしました。その場所の全景はすっかり記憶から消え去っているのですが、なぜだかそうした「おと」だけは鮮明に記憶からよみがえってきたんです、今日の場所に足を踏み入れた「瞬間」に。
思えば、不思議なものです。
その景色自体は全然覚えていない・思い出せないのですが何かの拍子に、凄まじいリアリティを持って「おと」とかが蘇ってくることって、ありませんか?
Regainだけなのかも知れませんが、こうした「人生の原風景」の要所要所で、記憶のフックにしっかりと残っている「何か」の存在。それは、「おと」だったり、「いきづかい」だったり、「こえ」だったり、色々と違うのかもしれませんが、こういう感覚を覚えることがらを、ひとつひとつそれらを丁寧に確かめてゆくと、自分にとって何が「たいせつなこと」なのか(良い意味でも、悪い意味でも)、気づかなかったものが見えてくるんじゃないかと思えました。
原風景、いや、原音?とでも言うべきもの。
思い出そうとして思い出せるものもあるでしょうし、何かのきっかけで蘇るものもあるかと思うのですが、大切に確かめてみようと思った訪問日でした。
素晴らしい気づきを、ありがとう。感謝感謝。