自炊&本棚リストラもかなり進みました。
その中で「昔よりも味が出てきた本」が1冊あったのでご紹介。
それが、石原慎太郎さんの「老いてこそ人生」です。
40を過ぎると自分の「からだ」のパワーダウンは確実に自分で判ってきます。
それは、運動しているときというよりも、自分の内部的な機能の低下で感じる事が多いように思います。
例えば、酒が抜けない。
例えば、2度寝ができなくなる。
例えば、老眼。
どれも一気に訪れるものというよりは、ある日「あれっ、もしかして?」という驚きと共に自覚するもので、なんと言うか普段は気づかなかったけど、それを「自分ごと」と知って愕然とするような感覚がどれも非常に強いものばかり。
で、こういう肉体的なものは確実にネガティブなものとして到来するとして、老化を前向きに捉えて、それを自分のものとして取り込んでいこうと(自炊しながら)読み進めていたのですが、すごく響いた章がありました。
およそ人生の後半戦を歩むにあたって、これまでとは違う悩みがいろいろと噴出したときに、どうそれらに向き合うか。その答えは「脳幹の活用」なのかしらと。
「第7章 脳幹の大きな意味」より引用:
その名の通り脳幹はまさに脳の幹であって、これが痛められたり傷ついたりするといかなる動物も生きてはいけません。最近では脳幹の働きが脳の中でさまざまなホルモンを分泌して、その折々の人間の感情を形成して表出させるという機能までが解析されています。言い換えれば人間の個性を、主に脳幹が形作っているとも言える。
人間が他人との関わりの中で自分をしっかりと捉えながら生きていく、自分を失わずに生きていくために必要なことは、耐える、耐えられるということに違いない。
とにかくたった一度の人生なのだから、老いてもなお楽しくなければ意味がない。老いてもなお人生を楽しむ、人生を満喫するためには若い頃から脳幹を鍛えておくことです。
と言ってもことさら何をするということではない。三十歳から走りだすことも含めて、肉体のトレーニングで耐性を培っておくということです。
正面から老いを認めることで初めてそれに耐えられるし、耐えられれば慣れることも出来ます。慣れられれば老いに関しての余裕も出てきて、人生の新しい味わいも出てきます。その次元でも脳幹が健全に働いて老いにおける新しい情感の発露もあり得るのです。
ビバ強い脳幹。
これからは、何かつらいことや堪え難いことが起きたときには、「これは脳幹トレーニングだ!」と心の中で叫ぶ事にします。
また、石原さんが体を鍛える事で脳幹の耐性を強めると書かれているように、習慣化というものも自分を鍛えるという意味で有効なんじゃないのか、などと改めて思わせられました。
あ、この本は別に脳幹のことだけが書かれている訳ではないので誤解なさらぬようお願いしまーす。その他の章にも、「老いるとは、老いてそしてどう生きるか」が石原さんの濃い文体で書かれていて、改めてその読み応えを痛感しました。
自炊も処分もせず本棚に残る1冊となりました。