レビュープラスさんから献本いただき、読了。
読了後に、だらけていた自分に喝をそっと入れてくれる、そんな良書。
きみにメンターはいるか
人生を通じて尊敬できる人は、いる。けっこう多い方だと思う。
身近なところで言えば、仕事でご縁をいただいた方だったり、社内の同僚だったり、ご近所さんだったり。生きている・いないに関わらず、歴史上の偉人だったり、昔のクラスメートだったりと、およそ最近自分と直接的な接点がない場合でも。
ただ、「メンター」という存在はいるか?と問われると、これはちょっと考えてしまう。会社によっては「教育係」的な位置づけでメンターを設置するところもあるけれど、それとこれとは話は別だよね、とお互いに思っているだろうし、実際そうであることが殆どだろうから。
本書のまえがきに、こうある。
「成功者には、例外なくメンターがいる」
「理想の人生の実現は、『自分のロールモデルとなる人』『思考と行動の指針となる人」であるメンターを見つけたか、見つけられなかったか決まる」
そりゃそうなんだろうなあ、と漠然と感じる。
そして、僕もある時期まではそういう「メンター」的な人を探し求めて様々な場所や機会に参加したことがあった。結果、同じような価値観を共有することができる方々と接点を持つことができたり、いわゆる交友関係を広げることができたりと、副次的なメリットは多かったように思う。
ただ、そこからメンターを見つけることは、できなかった。
職業人としてキャリアを確立したい、とか考える場合、比較的メンターは見つけやすい。社内外において同様の職種で、生活面においても理想となるような人はけっこう年齢とともに増えてゆく(会うチャンスがあれば)だろうから。
これはキャリアステップの中に転職を組み込んだ場合でもそうで、一つの会社に属し続けているかどうかは関係ない。いわゆる「成功本」を読めば、そうやって転職しながら「上流」に昇ってキラキラ輝いている人はごまんといるし、身近にもそういう人は多いはず。
メンターは自分を超越したところにある
でも、今の僕にはメンターはいない。
わかるよ、メンターなんてそうそう出会わないことは。
でもなんだろう、この「絶対的に確かそうな必要性」と、「現実にはそうではない」というギャップの大きさは。
そうした、モヤモヤとした気持ちを持ちながら本書を読み進めたのだが、なるほど!と思ったことがある。それは、
・”再起不能と思えるような失敗”を経験している人を選ぶ
・先輩や上司はメンターにしない
・本を2冊以上出版している人を選ぶ
という点。明確にこれらの視点で「メンターたるべき人」を見たことはなかった。
そもそも、本書にもあるけれど、メンターは自分の理想像であるし、ある種 現状の自分から「ジャンプ」したところに位置する人なので、一つ一つそうした「壁」を超えてきた人をロールモデルとして設定するという点はすごく腹落ちする。
その意味で、本書で展開されている、以下のようなステップはすごく明快で、「成功のための指針」と言っても過言ではないように思う;
- まず自分の「ありたい姿を決める」
- メンターとなりうる人を探し、コンタクトする
- メンターを超えたら、パートナーを増やしてゆく
業務課題と基本的にはおなじ。現状把握、「あるべき姿」の設定、ポートフォリオ戦略。読むにつけ、「そうだよなあ、、そうだその通りだ!」と思わずにはいられなくなる。
「没頭できること」の重要性
ただ、なんなんだろう。読み進めた後に、「やっぱりでもねえ・・」というシニカル感が残る感が否めない。
ぼくたちは、成功したい。
ぼくたちは、ロールモデルと言われたい。
ぼくたちは、自分の理想にちかづきたい。
でも、ぼくたちは、現状に甘んじてしまうことがおおい。
そして、それが別に悪いことではないんじゃないかと思うし、だからこその「理想」なんだと思う。
本書を読み終えて、このギャップを埋めてゆくことができるかどうかは、「メンターの設定」はもちろんその通りなのだが、「いまここにいる現実」において、「どれだけ没頭できる何かがあり、それを自分で理想像に向けてリーチさせてゆくことができるか」なんじゃないかと思うに至った。
メンターを設定し、近づいて、超えてゆくことを「楽しみながら」実践するための「自分の中の軸」。本書にあるように、それは職業でもいいし、「趣味」というものを持っている人はそれでもいいんだろう。そして、メンターを探すということは、おそらくその「軸」を探すことと表裏一体なのだろうな、と思う。