台北で部長と一緒に、問題多発の製造オペレーションに対して相手方と議論を数時間していた時のことでした。
「おい、なんか日本が大変な事になってるらしいよ」
という親切なコメントを聞きながらも、後でニュースを見ればいいや、という程度の感覚で
話を続けていました。 すると、スタッフから「Northern Partで地震と津波があったみたい」というもう少し正確な情報が。
そして、「へ?」と思ったのと同時に、日本に居るメンバーからの現状を伝えるメールが続々と転送されてきます。 「震度8」「津波が宮城県を襲った」「都内も相当の被害」というレベルまでは認識できるのですが、そこから先はメールを読めども現実感がありません。
何が、起きてるのか全く把握できず、熱に浮かされたようにビジネス内容を纏めて一旦 情報収集の為にブレークを一時間ほど取ります。
当然のように携帯電話は通じません。幸い、社内専用のSNSとIP電話をPCで繋げられるものの、東京側がそれを受け入れられる状況に無いので、数回の状況把握が出来るのみ。
とにかくまずは帰国する必要がある。そう部長と話し、委託元との会食を進めるのですが部長もRegainも表現しようの無い不安に包まれているので一向に会話が弾まず気分転換にマッサージに行くことに。
部屋に入って目に入ってきたものは、想像を超えるものでした。
これが、自分の国に起きている事なのか?という現実感が全く沸かないまま小一時間。
ホテルへ戻ってからも連絡のつかない携帯に苛立ちを覚えながら、浅い睡眠を取った翌朝。
別の事業部門の方で同じく台湾への出張者から、「成田に戻れず沖縄で一時着陸」などのメールを拾いつつ、刻々と流れて行くTwitterのタイムラインをぼんやりと見つめ、FacebookやMixiで知人の安否の連絡を取りながらも 、どこかに無力感を感じながら漠然と時間だけが過ぎてゆく事だけが「現実」としてそこにはありました。
時間を追うごとに明らかになってゆく被害の規模とその惨状に、続々と “ Are you okay? Your family, friends, colleagues are fine? “とメッセージが届きました。
“「地震大国」であるにも関わらずのこの災害に、世界が一様に震撼している。
いや、一番震えているのは自分の心なのに、それに無自覚な自分がいる。
今現在もなお、東北の凍るような大気の中で、助けを待っている人々が一刻も早く救助される事、そして被災者の方に一日でも早く「平時」が取り戻され、笑顔を浮かべられるようにと願い、改めて、無念にも命を奪われてしまった方々のご冥福を心からお祈りします。