いきなり辛気臭いのですが、先日Regainが商社時代にお世話になった、Mさんが亡くなられました。享年72歳。 新入社員ホヤホヤのRegainに対し、その方は当時58歳の大ベテランで、当時の事業本部の礎を築かれた伝説の商売人(&女好き)、として大変有名な方でした。日本の高度成長時代を牽引し、海外と日本のグローバルオーガナイザー(当時の商社での流行語)として本当にすばらしい功績を残された方です。
「わが子を崖から突き落とす、ライオンのような部署を!」と希望した当時のフレッシュRegainを待っていたのがその方で、いきなり初日から;
「だいたいキミはやねー(説教30分)。。」
「そんな事もできんのなら辞めてしまえ!(怒声&書類の投げ付け)」
「ワシはこの部を作ったんや(自慢話)」
「キミはワシに意見を言える権限はない!」
などなど、一時期 胃が真剣に痛むどころか、自律神経をやられるくらいまでコテンパンに叩いてくれた、Mさん。 Regainが配属される前に、2~3年で同胞が職場を辞めていくような、いわゆる「鬼上司」の典型でした。
ところが、その方との仕事は今になって思えば、Regainにとって貴重な期間であったとしみじみ痛感します。Mさんのおかげで、今の自分があると言っても過言ではない。この場を借りて言えば、Regainが商社からメーカーへ移ったのは、その方が原因なのではなくM&Aや海外子会社の設立、販路開拓などを一通り学んでしまったという思い上がりと、当時の商社を取り巻く最悪な環境への不安が原因でした。 他方で、当時は憎んでも憎みきれなかったMさんですが、今では心から感謝の言葉を言えます。
ところで。 こうした上司は方向は違いますが、今の会社にも複数居たりします。
部下をモノのように扱う。
朝令暮改の方針で、考えている事が読めない。
皆が、彼を嫌う。
こうした上司でも、みな人間。 彼らがそのような態度で接するのはそれなりに理由があるからです。 残念ながら部下は上司を選べませんが、彼らがなぜそういう状態にあるのかを考えながら対応する処方を学ぶ、人生哲学の根幹のようなものをMさんは身をもって教えてくれました。 海外の会社を立ち上げた際に痛感したのですが、おそらく起業して、自分を守れるのは自分ひとり。Mさんのように鬼のごとく教育をしてくれたり、パワハラまがいであっても「会社の枠組み」の中で接する事のできる彼らは、大変に貴重な勉強の材料になる訳です。 立ち上げ間もない、どこの馬の骨か判らない日本人に対して、営業先・取引先・銀行は、冷酷にRegainを無視し、切り捨ててゆきました。怒号などまったくなし。紳士的に、そして何事もなかったように。 この局面で、Regainの行き着いた結論は、「オレは、その人をどれだけ許せるか?」でした。
受け入れられない人が居るのはしょうがない。
怒りを覚えた際に、自分が保守化・硬化する事で作る環境で最終的に損をするのは自分。
いずれ、われわれは(年齢上)彼らを追い越してゆく。
人を大切にする、というのは、憎しみを持つ相手であっても、受け入れる事だ。
、、であれば、相手を受け入れ、「許す」以外に道はないのではないか。言い換えれば、サラリーマンの他を持って替えがたい究極の勉強リソースとしては、「職場」なのではないか、という事に帰結しました。 まだまだ全然、人を「許す」境地に立てている訳ではないですが、Mさんのご冥福をお祈りしつつ、また、彼がRegainに仕込んだDNAを噛み締めつつ、今日は静かに酒を干したいと思います。
Mさん、ありがとうございました。
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