短歌をつくりつづけた夫婦の四十年の歴史。人生の、記録です。
「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに
わたしを攫(さら)って行ってはくれぬか」
実は、秋になるといつも読み返してしまう本、というか、短歌集です。
河野裕子(かわのゆうこ)さん、昭和21年生まれ。
昭和41年、京都女子大学国文科に入学。
同じ年に京都大学理学部に進んだ永田和宏(ながたかずひろ)さんと、短歌同人誌の歌会で知り合い、恋に落ちます。
ふたりは昭和47年に結婚し、やがて男の子そして女の子が生まれます。永田さんは勤務先の会社をやめ、大学にもどり無給の研究員生活にはいるなど、曲折はありつつも、親子四人の幸せな家庭を築いてゆきます。
「米研ぎて日々の飯炊き君が傍にあと何万日残つてゐるだらう」
「たった一度のこの世の家族寄りあいて雨の廂に雨を見ており」
やがて河野さんは乳がんになり、指折り数えて死を待ちます。普通の夫婦と違うのは、彼らが歌人だったこと。歌とエッセイを交互に読みながら二人の人生を追っていくと、彼らにとって「うたを詠むこと」が「生きること」そのものだったのだと感じさせられます。
「一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため」
「あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて」
本書には、河野さんがそのときどきに新聞などに発表したエッセイ、そしてふたりの相聞歌が収められています。
そして、この本は歌人である夫・永田和宏が編んだ歌人であり妻の、河野さんへの哀悼の書でもあります。「人生の記録」と冒頭に書いたのは、単に史実的な観点を短歌で表現したという点にとどまらず、「死に向けて」二人の関係性がそこに凝縮されているからに他なりません。
若い夫婦の諍い、病によって精神的に追い詰められていく家族のこと、それらが歌の中になにげなく読み込まれています。そんなにあっさり言ってしまっていいのか、と思うくらい強烈な言葉なのですが、そこに書かれていない喜び、悩み、そして苦しみもあったようです。その切り取り方が、素晴らしいのです。
最後に収録された河野さんの歌は、読み返すたびに、愛しさ、切なさ、こころの叫び、が自分の中からも聞こえてくるような気がしています。
この凝縮感。だから好きなのかも。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに
息が足りない
この世の息が
そして、歌人として最後の言葉は、「われは忘れず」。
何を、忘れないと伝えたかったのか。
このドラマチックであり、ある意味で人生を豊かに生ききったお二人の短歌は、余り人に薦めるという意味では適したものではないのかもしれませんが、40歳を超えたRegainは、もうそろそろの「人生の告白」としてブログに書いてもいいのでは、と思っています。
読むのにエネルギーが要る本と言ってもよいでしょう。
そのエネルギーを、明日の、そして愛する人のために費やすのだと思えば、こんな素敵な本に注げることは、日本人としてこの上ない幸せなのかもしれません。
秋の夜長に、いかがですか。