、、って訳で台湾に来ています。 なんだか毎週 鎌倉とは違うところに居るよなあ、と思いながらふと気付いたのがこのエントリーの標題でもある訳ですが。
年を経ると共に、あっという間に時間が立つようになってゆく、と言うのは『ゾウの時間ネズミの時間』にてその生命体(心臓)のサイズと経年変化による生物学的な説明をして大変興味深かったのですが、ここ最近の出張の多さ=地理的な場所の頻繁な移動=を通じて思ったことがひとつ。
年をとると、時間がたつのも早くなるが、どこへ行っても既視感が強くなる=感動が薄れて行く
これ、Regainだけでしょうかね。 台湾や中国と言った、自分にとっての「身近な場所」に来ているからそう思うのではなく、だんだんと自分の周りの環境が、同質化してゆくというか自分中心になってゆくと言うか。 環境に対して感動を覚えると言うよりも、自分の中で感動する材料が少なくなってゆくと言うか。
経験の蓄積や生き物としての成長が、必ずしもクリエイティブな要素になるとは限らないし、であるからこそ、常に必要なのは生物学的な成長ではなく精神的な「好奇心」なのかしら、などと思わされたりする台湾出張初日なのでした。 逆に言えば、好奇心が有ればどんな場所でも、時間でも、自分にとっての価値は無限大まで広がるものなんだろうなーと。
いつまでも若く有り続ける秘訣は、青汁やヒアルロン酸だけではないのだ、なーんて改めて感じる一日だったりします。