考えてみればぼくは、社会人になってから結構な量の酒を飲んできた。
体育会系の部活に所属していたことも有り「飲む」事の耐性が備わっていたこともあるし、社会人になってから周囲におられた諸先輩方がとにかく美味しそうな場所で、美味しそうに愉しそうにお酒を楽しまる中で職業人として過ごす中、無意識に「お酒」が身近なものになったのだろうと感じる。
まあ当然接待で裸踊りもするし、ここでは書けないようなことを即興芸でお披露目したり、テキーラショットで記憶をなくして当時の部下に連れられて帰宅(覚えていないが)したりと、あくまで現在振り返ればの話だが、気恥ずかしいが楽しかった思い出も数かぎりない。
海外出張に行く際にはテンションを上げるべく空港ラウンジでビール・泡・ワインをいただき、搭乗してひと眠りしてからは再び戦闘態勢に切り替えるべくCAさんの持ってきてくれるリストから「じゃあ、これを」を繰り返す。ホテルに着いたら現地販社の仲間や顧客と食事でエンジョイ。
そしてここ最近は、と言うか考えてみればいつからか記憶にも残っていないのだが、帰宅後のいわゆる「晩酌」が欠かせない楽しみになっていた。いや、ルーチンと言っても良いような気がする。夏はビール、冬はワインから、おもむろにグラスを傾けてまったり過ごすその至福の時間。何物にも代えがたいひとときであることは人類の歴史が証明しているし、ご多分にもれず「豊かな時間」としてエンジョイしてきた。
・・が、ふっと気づいた。
これは楽しみなのか?惰性なのか?と。
アルコールの効用・リスクは十分知っているつもりだし自分では理性を持って「楽しんで」いる筈なのだが、もしかするとこの「楽しみ」は長年積上げてきた(きてしまった)、「ただの悪癖」なのではないか?と思えるようになってきたのだ。コロナ禍で海外出張が無くなり、自分にとっての「ハレの舞台」「戦闘モード」みたいな「飲むことを正当化する場所や機会」が無くなってしまったことも理由の一つとしては大きいけれど、年々感じるようになった「昔ほど飲めなくなってきた」という身体的な衰えの要素も十分な動機として存在している。
・・という事で、これからは飲酒欲求を立ってみるべく以下のチャレンジをしてみることにした;
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平日はワイン換算2杯までとする
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1.ができたら、「月・火・木」を禁酒日とする
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2.が軌道に乗ったら、「外食で酒を飲んだ時は家では飲まない
自分にチャレンジを課すのは、ずいぶん久しぶりな気がするし、どういう変化を自覚できるのか、楽しみでもある。エンジョイ。
あ、これは我が家のハウスワインです。箱ワインですがオーガニックでコスパ最強ですよー。