Regainは典型的な日本人で、いわゆる「無宗教」に属するタイプです。
そして、これまた典型的ですが、神社仏閣に行けばとりあえずお祈りというか、手を合わせてモゴモゴつぶやいていました。
何をお祈りするかって?
家族や両親の健康、自分の成功、などなど・・
で、ハッとしました。
こういうお祈り(お願い)での言葉って、言ってみれば「ありたい姿」なんですよね。
世に出ている多くの自己啓発本では「セルフイメージを明確化」とか、「目標を書き出し、成功へのステップを具体化」とか書かれている訳ですが、それらに近しい行動なんじゃないかと改めて考えるようになりました。
毎朝 お寺でお祈りしているおばあちゃんは、何をお祈りしているのかな。
きっとRegainと同じで「かなえたいこと」「かなって欲しいこと」を自分の言葉で、
くりかえし、くりかえし、お祈りしているんじゃないかな。
静かな時間の中でそれをすることは、ビジネスマンが朝時間にカフェで、手帳に目標を書いて繰り返し読むことと、きっと同じなんじゃないかな。
・・とかく宗教というと、絶対的な何かに自分のすべてを吐露することで委ねたり、社会的な生活習慣とはちょっと異質の習慣を継続することで、その絶対的な何かに近づくことを目指したり、恩恵に預かろうとしたりするイメージがRegainにはあったので、むしろ宗教的な何かを毛嫌いすることが多かったように思います。
ところが、これまで「習慣化」の観点では考えたことはなかったのですが、ここ数日 早起きをしてみて気づいたのは、思った以上に「キモチイイ」し、「続けられそう」な感覚なのです。
それはなぜか、、と考えていたら、早起き散歩コースの中に、近所の神社を加えていた=目標やイメージを言語化する作業=からなのかもしれないなあと。
早起き散歩、しばらく楽しみながら続きそうです!