鎌倉商工会議所などが参加する鎌倉産品推奨委員会が鎌倉らしさにあふれた製品を「かまくら推奨品」に認定する制度をスタートさせた。認定されると推奨品マークの使用が許可される。十一月四日から二十八日まで募集する。
「鳩サブレー」や「鎌倉ハム」、「鯵(あじ)の押寿し」などに続く鎌倉ブランドにふさわしい製品を掘り起こそうと企画された。推奨委には市観光協会や市商店街連合会、市農協連即売所など十一団体が参加している。推奨品への申請資格は、鎌倉商議所の会員で、独自性があり鎌倉らしさを感じさせる商品、食品、工芸品など。飲食店で提供される料理は除くという。申請料として一製品につき五千円が必要で十二月上旬に開催予定の認定会で審査する。一事業者が申請できるのは五製品まで。認定されると登録料として二年ごとに二万四千円が必要。
認定マークには大仏や鳥居、ハトをあしらった。製品に合わせて使ってもらおうと緑と茶色、緑と青の二種類を作成した。製品に張るシールのほか、包装紙に直接、印刷できる。
鎌倉ブランドとは何か?
住みたい町ランキング等から振り返ると、
「安全」 「子供が健やか」 「海と山に近い」 「スノッブ=高級感」
等々です。 つまり、こうした住。生活環境を求める人たちの集合こそがブランドの存在。
つまり、今の鎌倉を一番のブランド価値として位置づけているのは、「空間価値」なのであって、それを名産品で強化するのは方向が若干間違っている、という議論にもなりかねません。鎌倉Brandとしての名産品は、単なる町おこしであって欲しくない、という個人的なノスタルジアもありますが、それ以上に、磨けば光る要素=将来価値を持ちえている。 こもれび禄岸について昨日書きましたが、新旧のバランスを旨く取りながら、『「居住環境+LOHAS」=名産品』の訴求を行うことが、最大のブランド強化だと思いますが、その延長線上に、「鳩サブレー」も、「鎌倉ハム」も存在していない。ここが、問題です。 こだわりを持つ方々が、セレクトショップを展開されていらっしゃいますが、日本および世界への発信にはなりえていない。
スペインのバールのように、確実にアイテムに連想する「場所」を作り、そこから商品を展開する事を鎌倉市として助成する、あるいは重点投資を行うべきでしょうが、史跡メンテに財政を投じざるを得ないパブリックセクターとしては、それも厳しいのでしょうか。極端に言えば、森ビルによる街づくり=名産品づくり、のようなアイデア提案などでもやったらどうか、と考えるのは暴論でしょうか。鎌倉市による観光基本化計画をご覧になると、市が、短期的かつ小予算のものにしか着手できていない現状がお分かりになると思います。(名産品プロジェクトはH18年に既に計画されている)
デザイナー&商品企画(プロダクトプランニング)&住計画の知識を結集して、鎌倉ブランド戦略を再構築すると、おのずと、現在価値=推奨品としての鎌倉ブランドから、将来価値が見えてくる筈です。単なる商売っ気だけでは、ブランド強化にはなりえませんね。
このステッカーも、何気に好きですが、「推奨品」というくだりがブランド価値を下げています。見れば判るデザインなのに。
調べていると、鎌倉市のデータの中に、古舘伊知郎と、養老孟司の対談本からの抜粋がありました。興味深いです。(強調:Regain)
生活環境部会 市川和夫
最近読んだ本『記憶がウソをつく!』(対談 養老孟司、古舘伊知郎 扶桑社)
に『鎌倉らしさ』を考えさせる面白い記述がありました。古舘氏が養老先生宅(鎌倉)を車で訪ねていくときのことを語っているところです。
(古舘) 僕は東京のゴミゴミした下町の育ちだから閑静なたたずまいの北鎌倉あたりは昔から憧れの地で、「うわあ、やっぱり鎌倉は風格があっていいなぁ」
なんて思ってたんですが、同乗していた事務所の人間は北海道育ちで鎌倉に特定の思い入れがないせいか、僕とリアクションがぜんぜん違うんです。たとえば僕が三十年前のタイムスリップしたような雰囲気の美容院を見つけて、「ほらほら、こういうところが鎌倉の風情」なんて言っていると、彼は「そんなのどんな町にもありますよ。ホラッ、美容院の横にはコンビニだってあるじゃないですか」って醒めた目で見ている。ぜんぜん噛み合わないんですね。僕の中ではコンビニはシャットアウトされてて、その美容院だけに目がいくんですが、彼はそれを見たところで廃屋くらいにしか見ないわけですね。
古舘氏には 鎌倉のイメージがアプリオリに存在しているのです。彼の鎌倉のイメージは『閑静なたたずまい』『風格がある』『風情がある』『三十年前のタイムスリップしたような雰囲気』 と表現されています。そして彼のもつ鎌倉のイメージに合わない情景は見ないようにし、イメージに合うところを繋ぎ 自分のイメージを追認しているのです。古舘氏の反応は鎌倉に思いを描く人の典型的なものが感じられます。
まず重要なのはアプリオリにある鎌倉のイメージです。そのイメージがあるからこそ「鎌倉に行こうか」ということになるのですから。それは以前来たときの印象によるものだったり 友人との会話や写真だったり様々ですが、雑誌やTVによるものも大きいと思われます。雑誌やTVでは編集者のイメージで鎌倉を構成して見せるわけですから よほどのことがない限りそれは伝わります。
それらがアプリオリな鎌倉のイメージとなるわけです。そのイメージを抱いて日常と異なる空間・時間を求めに来るわけです。
次に問題なのは、イメージを裏切らない現実が実際にあるか ということです。
古舘氏のいう「うわあ、やっぱり鎌倉は風格があっていいなぁ」は鎌倉に入り込んだ北鎌倉辺りの沿道の風景を見ての