前回のエントリに続き、夏の気分を引きずりながら週末を過ごしてるRegainです。
土日、あいにくの雨かと思っていたら晴れ上がってきていて気分もちょっぴり上がり気味? そんな中、「夏にやり残したことってなんだっけかー」と考えていてFacebookで飛び込んできたのが:
「毎年恒例となる、息子の号泣。自由研究が全く終わらずそのプレッシャーに堪えかねてひとしきり自分の不備を詫びつつも家族に協力を求める、の図」
というタイムライン。
いや、これはこれで微笑ましい(当事者は堪らないでしょうが)のですが、それでふと脳裏をよぎったのが今日のテーマでした。
子供にとって自由研究という宿題って、やっぱりハードルが高い課題だと思うんですよね。テーマ見つけて、調べて、報告するっていう、「受け身じゃない」行為を個人がするのは大人だって難しい。
というか、年齢に関係なく「能動的に」何かをしてゆくってエネルギーが必要ですし、およそ「宿題的」という時点で「受動的」なものを「能動的」にしてゆくかという時点で思考の整理がないとなかなかできるもんじゃありません。
およそ会社勤めしてる、あるいは社会で働いている僕たちもそう言えば、「仕事」=「タスク」=「プロセスの一部」的な考え方をすると、本人がどれだけ積極思考を持っていようが全ての仕事は受動なるものの一部、な訳で、じゃ自分の自由時間を使って何をやっているかというと、「趣味」とか「興味の湧く対象」と称されるなにかに対してゆるーりと大人の余裕でもって接していてアウトプットは特になかったり(休日ゴロ寝のアウトプットは、平日の仕事、的な意味です)。
それを見てる子供は、「大人っていいなー宿題なくて」という、大人と子供で繰り広げられる永遠のジェラシーに陥る訳ですが、なんかこのへんがモヤッと来た訳です。
かっこいいオトナ、憧れるオトナ、みたいなものを考えたときには、子供がやっていることを遥かに凌駕するレベルで実行する、またはそれに近いことを示す、ようなパフォーマンス(教育)が必要なんだと思うのですが、だったらオトナも自由研究やってみていいのでは?と。
- オトナの宿題=会社から持ち帰るお仕事
- オトナの自由研究=自分の興味・関心の範囲でで作り上げる、成果物
って感じで。
別に子供と同じ期間を設定する必要もない訳で、必要なら1年かけても構わないけど確実に成果を「子供に」なのか「家族に」なのか「社会に」なのか、何がしかの対象に示すというアウトプットをするような環境があってもいいんではないか?と。
そう思いながら調べてたら、やっぱり同じようなことを考える人はいる訳で、こんなのがありました。
[コミュニケーション学部] なるほど! 社会がもっと分かる! 日経「大人の自由研究講座」 | 丸の内朝大学 講座
おお!と思って見てみたのですが、どうも「チームで」という部分に商業っぽさやらプチMBA授業っぽい「意識の高いビジネスマンが集まって、知的に愉しむぜイエイ」みたいな感覚を持ってしまう辺りがイメージと違うかな。
なんかこう、もっと「Free」な感じで、「自発的・創発的」に子供も興味もてそうな対象にアプローチするようなスタイルなんですよねーイメージしていたの。
ほかにも、こんなのありました;
ふんふん。あんまり纏まってない・・
施設巡り系。
大人の自由研究 何をしてみたいですか? アンケ - アンケート - 教えて!goo
冒頭の回答者さんが書かれてる研究材料が、びっしり感満載です。
green drinks 松戸vol.30「大人の夏休み自由研究 古民家カフェで遊んで学ぶエネルギー!」 | omusubi不動産
へえ。場所をテーマにするのも面白い。
工作系。なんかほんわかしてます。
最後まで夏を楽しむために:大人の自由研究をしよう! / コラム / FanFunFukuoka ファンファン福岡
コンセプトはRegainの思った内容と近い!共感しますー。
広げてみると結構面白いテーマなのかも。
ちょっと色々構想練ってみよう。