たのしい落語
高座にあるのは座布団だけ。
着物姿の落語家がひとり、扇子と手ぬぐいのみを使って、大きな会場では1千人を超える観客を魅了する。「大ネタ」と呼ばれる長い演目では、1時間以上にわたり一人の噺家が音響や照明などの演出も使わずに観客を引き付ける、話芸の力。
一言で言えば、当意即妙 。ぼくが「落語」にもつイメージはこれだ。
そう、「噺家」ではなく「落語」にもつイメージがこれなのだ。
血のにじむ訓練の結果の当意即妙が「うまい噺家」だし、そのうまい噺家の話す「寄席」の雰囲気が「当意即妙」で、場の全体の空気感やリズムがそれを楽みながら調和しており、乱れてないイメージと言えば伝わりやすいだろうか。
この当意即妙、あるいは調和の調和のとれた世界というのは、絶妙なコントロールが必要だと思っている。そう、指揮者のような存在として、なおかつ「話芸の力」で。
この、話芸としての落語は、素直にたのしい。たのしいから噺家や落語というものをどんどんと好きになる。落語を聞いていて、嫌な気持ちになったという人はおそらくいないだろう。
同様にかんがえてみる。ビジネスの場においてプレゼンは「パッションを伝えるもの」とコンサル時代の上司が言っていたことを思い出す。資料自体の内容は、誰が発表しても同じ。ただ、誰に、どう伝えるかは、プレゼンター次第。話芸の力で、その場を創る。
まさに落語の当意即妙の世界だと今更ながら痛感する。
ようやくレビュー
前置きがかなり長くなってしまった。
レビュープラスさんからご献本、「たのしく」読了。
本書の『ビジネスエリートは、、』というタイトルは企画として判りやすさを狙ったためだろうけど、陳腐化したタイトルな感じは否めない。いや、むしろこれも確信犯なのだろうかと思わせられてしまう。いやいや、もう見飽きたがな、でもちょっと気になるな、的に視点を向けさせる、みたいな。
本書はそういう「確信犯的な薄っぺらさ」を演出しながらも、内容はかなり骨太だと思う。
それは著者おふたりが、落語家からビジネス界に転身したというだけでなく、現在一定の評価を獲得されるまでの経験が随所に盛り込まれているためで、本書を読み飽きない構成にしている理由のひとつであるともいえる。
たとえば:
落語とは「人間の業の肯定」であり、肯定するがゆえに「多様性を包摂する」もの。落語をよく聴く人は、だからこそすぐにキレたり、他人を責めたりしません(p59:落語に学ぶダイバーシティ)
とか、
「一流の落語家とそれ以外の落語家の違いはどこにあるでしょうか。それをひと言で表現するならば、「覚悟」です。
一流の落語家は、どんなことでも自分の芸の肥やしにしようとする「覚悟」があります。」(p.207)
などのくだりは、落語家という一つの職業かたちづくる世界の要諦として、そしてビジネスの一線に身を置くおふたりが、読者層と同じ目線だからこそ書ける内容だなあと思わずにはいられない。
この本は、いわば「ことばの力でたのしい世界を創るプロが、転職して別の会社に移った際に身にしみて判ったこと・実践したこと」の上質なエッセンスと言えるだろう。
ちなみにぼくも落語好きだけど、「落語好きだからビジネス世界で成功する」、という論理も、その逆の「ビジネス世界で成功したいから落語を聴く」という論理も、どちらも成立しないと思っている。
落語を聴いて、これまで楽しめなかったことや環境を楽しむことができるように、そして演出できるようになれば、ビジネス世界における大概のストレスは気にならなくなる。
・・これだと思うんだけどなあ。
あ、おふたりが今だからこそできる落語をぜひ聴いてみたいものだ。
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