鎌倉ライフリッチ研究所 Ver 3.70 | 人生を、豊かに生きよう。

ようこそいらっしゃいました。スローライフの聖地鎌倉へ移住して7年。グローバルビジネスやM&AどっぷりだったR40が一念発起。 ベンチャーでの仕事を通じた日々のビジネス視点だったり、観光に役立つ鎌倉の美味しいグルメ情報やイベント紹介をしてまーす。プロフィールはこちら(http://profile.hatena.ne.jp/hase263lich/)から。

せきにたんが


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そう、アレです。

お年を召された方が、よく喋りながら「カーッ」と喉を鳴らして召喚するその存在。

昨年あたりだろうか、早く寝るように心がけるようになってから素晴らしい目覚め共に、喉に違和感を覚えるように。

いつものルーティンで、近所の神社をお参りしてから海に出て体操して、浜辺を歩くころになると、それはこみ上げてくるのである。

さすがに早朝とは言え、サーファーもいるし散歩している人もいるので「ペッ」はしないのだが、どうにも気持ちが悪くて仕方がない。

これ、なんだろう・・と思い続けて調べてみたらようやく判った。

と言うか、同じ症状の人がいることが判っただけでも一安心なのだけど、これは「後鼻漏」というものとアレルギー性鼻炎の併発らしい。詳細は紹介サイトに譲るとして、一昨年くらいから発生している副鼻腔炎が機序のよう。

直すのは漢方や薬、ネブライザーなどのようだけど、まずは体力をつけて免疫力強化、が必須だと思われる。いや、サーフィンは副鼻腔炎を促進する可能性のが高いから、サーフィン以外で運動することを考えなさいね、という天からの思し召しなんだろうか。

 体力、増強!!

波情報をチェックするときに 【由比ヶ浜・七里ヶ浜】

Surf

 

最近見つけた波通さんのライブカメラをご紹介。

サーフィンを嗜む人にとってはもはや「今さら?」という情報だとは思うんだけど、無料で見れるのは貴重なのでお知らせをしたいと。

自分のポイントからは少し外れるけど、週末の朝一番はこの二つを眺めてから1日の計画を立てることが多いです。

 

[由比ヶ浜ライブカメラ] 


設置場所:湘南・鎌倉の結婚式場 アマンダンブルー鎌倉

 

[七里ヶ浜ライブカメラ] 

このライブ映像はiPhone・iPadでも見れます! 

 

七里ヶ浜のカメラは若干解像度が粗いんだけど、それでも大助かり。

いやー、ありがたやありがたや。

 

www.i92surf.com

給湯器がやってきた

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いやー、待ちに待ったこの日が来た。

豪雨を受けて機能停止した給湯器が、いよいよ本日交換。

思い起こせば会社には「すいません、風呂に行くので失礼します」とか「今日はあっちの湯に行きます」など、およそビジネスマンとして使ったことのないキーワードを乱発して、社内外の皆さんには本当に迷惑と心配をおかけしたことを深くお詫び申し上げたい。

 

銭湯には本当にお世話になりました。

この場を借りて御礼を申し上げると共に、後世のために少し各銭湯の特徴などを示しておこうと思う。

  • 野田の湯
    僕ら夫婦には、ここが最上でした。
    「台風だろ?大変だな^^」という温かい言葉をいつも(覚えてないだけかもしれないけど)かけてくれたことは忘れません。設備も綺麗で、バスクリン的な個別のお湯も素敵でした。駐車場は隣のやまかと共同。風呂を使うと実質無料。
  • ひばり湯
    炭酸を使ったジャグジー的なお湯に癒されます。
    樹木希林さんのような受付の方がたいへんチャーミング。駐車場なし。
  • 清水湯
    いちばん近い場所にある銭湯。最初から、最後まで足しげく通わせてもらいました。昔ながらの熱めのお湯と、昔ながらの銭湯を忍ばせる室内が素敵。
    駐車場スペースあり。向かいのお好み焼き屋にいつも後ろ髪を引かれてました。
  • 栗田湯
    いちばん訪問頻度が少なかった点は、我が家からの距離が大きい。
    女性用お風呂には、昔ながらの巨大なハカリがあるらしい。天井の塗料がいつ剥げ落ちてくるのか心配だったが、とっても綺麗に手入れされていた。駐車スペース3台分だったかな?あり。

と、言うことで交換!

これが・・・

こうなりました!いやあスッキリ。おニューだぜ。

さっそく風呂に入ったわけだけど、やはり家の風呂が一番ほっとします。

まだ屋根も倒木も処理がうまく進んでいないけど、一つ一つ片付けてゆこう。

今回の設置でお世話になったほっとハウスさん、すごく忙しい状況の中で親切・丁寧な対応をして下さり助かりました!


 

プチ被災、そしておふろにまつわるあれこれ

シンボルツリーが倒れ、小規模ながら屋根が飛び、リビング照明がつなかなくなり風呂に入れなくなった我が家。

近隣の皆さんにおかれてもそれぞれの被害はあるのだろうと察しつつも「何で我が家はこんな被害に・・」と思わざるを得ない。

 

ここに来て、自然災害の被害を(軽くではあるが)被ったことで気づいた点があるので今後のためにも残しておこうと思う。

 

自分ではコントロールできない災厄への対応は、疾病や障がい受容の対応プロセスと似ている

第1段階: 病名告知による衝撃・ショック

第2段階: 防衛的退行(否認・逃避)

第3段階: 承認(怒り、抑うつ

第4段階: 受容(新しい自己への親しみ)

www.medica.co.jp

 

・・被害にあったのは、おそらく他の家庭に比べたら非常に小さな規模だと思う。

それでも、「ああ、もうこれは交換ですね」とか、「ご自分での修理は無理ですね」や、「保険ききませんね」などと言われると(第一段階)、圧倒的に、全く、予期していなかった事態であるだけに一気に第二段階と第三段階が押し寄せる。

「うそだろ、少し手を加えれば・・」

「いや、我が家の状態が上手く伝え切れていないだけで・・」

「そもそも、貴方たちは被害にあってないじゃないか、くそう」

「ああ、もうやってられん」「酒飲んで寝よう」

 ・・・ぶっちゃけて言えば、そんなニュアンスだ。

※ ぼくの言語力のせいで、適切に伝え切れていない部分が多いことを予めお詫びします。

・・・・第4段階は来るのだろうか。

ガス機器は10年ごとに交換がベター


我が家では東京ガスの「ガス機器スペシャルサポート」に加入している。

このサービス、毎月500円を払えば、修理は上限3万円まで、交換は5万円までを東京ガスが無償サポートしてくれるというもの。

今回、台風の影響でノーリツ製 給湯器(のリレー基板)がダメになってしまったようだという故障診断を東京ガス関連の工務店さんが行ってくれた。見積もりとして約5万円が上がってきたので、持ち出し1.5万円で対応できるか、助かるな、と思っていたがどっこい。


リレー基板の在庫がなくなっており、修理不可能と。なんと!

※ 型番はGT-2428SARXでした。


電話とメールでもノーリツに確認したところ、「使用していた給湯器は2008年に製造終了、その後10年は部品供給を行うが後は対応一切不可」、とのこと。
既に世の中に出回っている製品がいつ製造中止になるのかなんて、普段から気にしていられない。うわー。

これは、、基本的には設置後10年間は無償で修理対応できるサービスに必ず入っておくべしと強く認識。誰も何も教えてくれない。
 それと、ガス機器スペシャルサポート、コンセプトは良いのだが、新品への交換見積もりがバカ高い。市場の約2倍の価格になるので、このサービス自体は都市部など「自然災害が基本的に少ない地域」で、「交換ではなく修理メイン」を想定して加入検討をしたうがよいのかもしれない。

鎌倉の風呂協会のありがたみ


一部地域では停電が続き、生活を送るのに困窮する住民が発生した鎌倉。
風呂難民になったのでしょうがなく近所の銭湯を探し、行くことにしたのだが番台のお姉さま(妙齢)が・・「あんたアレ、停電とかでお風呂に入れない人でしょ?ここに住所と名前を書いてくれたらタダにしてあげるよ」と。なんと有り難い!
しかもこのお取り組み、協会加盟の4銭湯で実施されている。素晴らしい。

毎日夫婦で約1000円の出費と、「いつ復旧・直るんだろう」と言う徒労感・無力感に対して、お姉さまの笑顔がこの上なくまぶしかったのは蛍光灯の光のせいだけではないだろう。ビバ、鎌倉市公衆浴場業生活衛生同業組合

www.kanaloco.jp

 

このカテゴリーへのエントリ、全てが落ち着くまでは当分続きそうです。

台風15号、我が家も被害発生

今回の台風15号には本当、やられてしまった。

前後に夏季休暇を取得して、石垣島でも行こうかねと最初の頃には話していたんだけど

台風が通過するからということで取りやめ、その後伊豆への日帰り旅行や近所の散策でゆったりとした時間を過ごした日曜日。

午前中にはサイズの上がってきた波を堪能し、「いや、これから台風か。植木と自転車をしまっておかなきゃな」的な軽い感じで整理を終えて眠りについた。

 

就寝前に見ていたテレビでは、小田原などの豪雨の様子が流れており、「これはひどいかもなあ」と感じつつもやはりノンキな感覚。

 

・・・まず最初に聞こえたのは、家がきしむ音だった。

ギギギ、グググと、どこから音がしているのか想像も付かないが、風で家が揺らされているのが判る。

夏は和室で寝ることにしているのだけど、和室からベランダに出るガラス扉あたりから突如「ビシッ」という鞭で叩きつけられたような音。

なんだろうこれ・・と思いながら起き上がって外を見ると、約3メートルくらいには育った、自宅の庭のオリーブの木が倒れんばかりに傾いでいる。

そして、よく見ると、空中をペットボトルや何やら、色々なものが雨と一緒に舞っている。

雨は、雨の音ではなく、小石を打ちつけるような音で外壁に激突して今にも穴が空いてしまいそうな恐怖感。

 

こ、これは真剣にヤバイんじゃないか。

でも逃げる所もないし、まずは横になって落ち着こうと目を閉じたところで、

「パキーン」と言う音。何かわからないが、ともかく家に何かの損傷があったようだ。

その後、「ガキっ」「ザザザザザ」などの意味不明な音が一晩中続き、結局 未明から明け方までは一睡もできなかったような記憶。

 

そして、、、翌朝。

 

オリーブの木が、倒れていた。うわー。ウッドデッキにもダメージありそう。

隣の家に倒れなくて本当に良かった。

 

 

あれ?リビングの電気がつかない。

 

おや?温水が出ない。

 

外に出て様子を見ると、隣家の奥様が「これ、お宅のですよきっと」と持ってきたのは見たこともない鉄製のパネル的なもの。

奥様曰く、昨晩の影響で我が家の屋根パネルの一部が隣家の庭に飛んだんだそうだ。

隣家は2階のリビングから3階のテラスに出られるようになっているので、そこから我が家のものだと特定できたようだ。

 

うわー。

 

そして・・オリーブの木・・。これは、もう無理でしょ。

約10年、一緒に育ってきた大切な木だったのだが、見るも無残な倒れ方。

悲しさというよりは、呆然。そして、ウッドデッキがおそらくオリーブの木の重さでバランスが崩れ、歪んでしまっている。

修理にどれくらいかかるのだろうか。。

 

これは、少なくとも1週間は復旧に時間が必要だろうか。いや、そんな短期間じゃ済まないぞ。

 

 

<我が家の被害>

  • 屋根の吹き飛び(はがれ)
  • 倒木、及びウッドデッキの損傷
  • 2階和室、ベランダへのガラス扉 ひび割れ
  • 給湯器 損傷(風水での侵食?)
  • 雨どい損傷(割れ)
  • リビングダウンライト 点灯せず

 

・・はてさて、保険でどのくらい戻せるのか・・。

 

つか、風呂、入れないのか!

雨が降ったら、屋根がはがれた箇所から更に浸水して雨漏りか!

 

これは・・・

 

45にして親知らずを抜く


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人間の生涯における歯の価値を金額に換算すると、日本では約3,000万円という試算があるらしい。アメリカでは1億円超えらしい。

場合によっては家一軒分とも言えなくもない、そんな貴重な歯。

医療機器系の業界に身をおくまでは、それこそ「仕事の時間を使って歯医者に行くのかよ。ケッ」的な考え方が周囲も自分も強かったのだが、考え方が大きく改まったのには感謝としか言いようがない。

 

ただ、まさかこの歳で親知らずを抜くとは、と言うのが正直なところだ。根本原因的には、よくある「親知らずの前の歯との接触部が虫歯になっており、親知らずも抜く必要が(もうそろそろ)出てきました」ということのようである。「ようである」と言うのは、セカンドオピニオンを取ってないので、今ひとつ釈然としない、という意味も含む。

 

いずれにせよ、これまでのナメくさった考え方のツケからは逃れられなかったなと言う感じだけれど、仕方がないので(まだ考えが一部改まっていない)、親知らずプロジェクトを終えるために歯医者に通うことにした。

 

海外駐在前に4本全てを抜いた嫁さんに「どんな感じ?」と伺ったところ、「気持ち悪い感じだよー。慣れるしかないね」とよく分からない脅かされ・アドバイスを頂戴していたので、捉えどころのない不安感を抱きながら歯医者に向かう。

 

親知らずの抜歯自体は、思ったよりも痛くもなく終わった。先生によれば、前の歯との接触部がボロボロの状態になっていて、抜こうとすると欠けてしまう点が難儀だったようだ。15分ほどガーゼで抜歯の部分を噛んで圧迫止血してくださいね、との指示を頂きながら帰宅。その時は麻酔による痺れもあり、「親知らずはこんなに簡単に抜けるのか」くらいの感覚しかなかった。

 

そうこうするうちに麻酔が切れはじめたようで、徐々に痺れの感覚が和らいでくる。麻酔残留のあいだに最後まで残っているのは、抜歯部に近い舌の付け根の部分が、コリコリする感じでしびれる、不思議な感覚。

その次、これは参ったのだが、ガーゼを口から出してもう一度噛もうとしたら気持ち悪さが止まらない(喉の奥に指を入れてオエッとする感じ)。これは困った、と言うことで寝室で休むことに。

 

今日はお酒も飲めず、まだ麻酔後の変な気持ち悪さもあるのでひたすら安静かな。まあ当然かな、などと考えながら抜歯後1時間くらい経過したところで、少しずつ気持ち悪さが消えてきた。

 

気を紛らわすために庭に出て雑事をこなしていると口の中の血の感覚も薄れていい。こんな時こそ草むしりと自転車のサビ取りだ。マインドフルネスなのだ。

 

そうこうするうちに、食事の時間になった。

 

うーん、口が開けられない。そして、抜いた側で食事を噛めないので、首を反対側に曲げて噛み砕いたものがそちらに行かないようにするなど、細かな苦労が続く。

幸い、ヨメさんが考慮してくれて今日はそうめんにしてくれたのだが、口いっぱい頬張ることができない。つるり、つるり、そろりそろりと口に入れる感じ。非常にゆっくり食べていたら、普段の食事時間で半分くらいの量しか食べていないのにお腹は満たされてくるので不思議である。おかずに塩漬け豚のロースを焼いたものを出してくれたのだが、もうハサミで一口大というよりも子犬のおやつサイズにカットして、ハムハムと食べる。いやあ、こりゃ苦労このうえない。

 

これまで病院で高齢の方々から「食事を歯で噛んで食べられることは幸せだ」と、何度となく聞いていたが、今日ほどそれを痛感したことはなかった。QOLの根源の一つには、生物としての人間が「自分が、自分で、自分のためにできること」と言うのがあるのだとつくづく痛感した。

 

 幸い今日は波もなし。気持ちがメロウになることはなんとなく想像ついていたので、こんな時こそ雑事と読書!

 

・・・そして。今更ながら、自分中心の世界は狭いと感じた次第。海外駐在前に全ての親知らずを抜いたヨメさん、、あなたは凄すぎる!

 

 

カッコいい男とは:自転車のパンクを自分で修理できる男

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パンク 自転車



いつか、そうなりたいと思っていた。

でも、なかなか「やろう」という決心がつかなかった。

今でも覚えている。大学2年生の時にMTBで大学のある関東の片田舎から実家の愛知まで単独帰省した。

ぼく自身は勢いで自転車帰省を決めただけで自転車そのものに昔から愛着があった訳ではなかったのだが、その時に出会うサイクリストの方々が、自転車のほぼすべてのモジュールを自分で「診断」してたり、輪行のために愛車を手際よく分解したり組み直しているのを見て、「道具には愛だよな」と思いを深くした時代から、すでに何十年も経っている。

それでもなお、自転車という生活の一部を自分の手でメンテできる事にはもしかすると多少なりとも「強めの思い入れ」があるのではと思い、今回チャレンジしてみた。

 

参照したのはこちら。

 

www.youtube.com

www.youtube.com
www.youtube.com

www.youtube.com

 

・・で、やってみたら手間のかかる事、想像以上。

ただ、こういう事を楽しんでできるオッサンはやはり格好いいと思う。

まだ楽しめる領域ではないが、楽しめる人間になりたいと思った次第!

※100均の修理グッズで殆ど対応できる事にも気づいた。

 

 

ビンテージワインおそるべし

備忘録備忘録。

この連休は、京都から妻のご両親が訪問してくれていて折角なので、彼女の誕生月ワインを明けることに。

状態はよく保管していたつもりだったけど、コルクはさすがに一発で抜くのは厳しくダメかな・・・と思っていたけど開けて10分くらいで素晴らしいアロマが。

1975年のビンテージワインだけど、家族で楽しくいただきました。


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開けたのはこちら;

1975 Chateau Gruaud-Larose, Saint-Julien | prices, stores, tasting notes and market data

wine.old-vintage.com

 こういう、歳月を楽しむ食べ物や飲み物って、話題が弾むので素敵だなと思いを新たにした素敵な時間でした。

 次はどういうイベントを企画するかを考えるのも楽しいひととき!

 

久しぶりに自分のブログを見て思うこと。

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ブログエントリを書く頻度が激減して、かなりの期間が経ったように思う。

実際問題、FacebookやインスタなどのSNSでのもらえる、「いいね」によって得られる承認欲求の充足の方が楽しいし、ダイレクトなレスポンス感もあるので、もうこれからブログというメディアというか、ツールに、改めて目を向けることはないだろうと思ってもいた。

また、そうした自分を中心にした距離感で言うとFBのように「極めて近い」関係性や、インスタのように言葉ではなく画像・映像を媒体としてメッセージを他者に委ねる「ふわりとした」関係性の方が、ブログと言う「一定のテーマ(日記ブログというのも、雑記ブログというのも、それはテーマなのだ)」において発信する、自分から提示する付加価値性のようなものに比べた方が遥かに「気楽(言い換えると、「ブログは面倒だ」)」であることを考えても、メディアのトレンドとしてもブログへの訴求力は大きく落ちちゃったしな、などと、今ひとつ湧いてこない執筆意欲というか創作意欲の言い訳を与えながら日々を過ごしたりもしていた。

そうこうする中で、自分の趣味趣向がガジェットやハック術などへの関心が一気に薄れ(物欲が大きくなくなったからだろうか)、むしろ「いまここを大切にする」というマインドフルネス的な思考に惹かれるようになっていったことは、きっと40を超えたという自分の年齢だけではなく、時代の流れによる変化なのだろうとも思っていた。

そんな中、ある時にふっと過去エントリを整理しようという風に思い立ち、一つのテーマで読み直してみて、驚いた。

当時の記憶が、ないテーマと、鮮明に蘇ってくるテーマが、あるのだ。

そして、鮮明に蘇ってくるテーマは、当時の感情や思考の経路だけでなく、その状態を改めて俯瞰している自分を「いまここ」で感じることができたのだ。

これって凄いことだと思った。

常日頃から手帳術や日記の重要性は痛感していたし、今も紙面への没入作業(と言っていいのだろうと思うが)は、継続しているのだけど、それとは全く異なる感覚なのだ。

日記とは異なり、第三者に向けて意識的に自分の思考や感情を整理した文章が、その「整理のプロセス」までもイメージとして蘇ってくる、そんな感じ。

うまく伝わるだろうか。

そういう意味で、ブログと言うメディアは、まだ個人のツールとしての有用性を一定レベルで保ち得ていると改めて感じた。

今後、自分がエントリーを積極的に復活させるかどうかは、その有用性だけでなく、何か強い関心や内発的な動機の変化が必要なのかもしれないとも思うけれど、それでもなお、ブログへの「敬遠意識」が驚くほど低くなった瞬間だった。

 

これからの活用方法を考えるだけでも楽しいかもしれない。

 

誕生日。42歳。ふりかえりとこれから。

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これまでは、年始に抱負を書き、誕生日に気構えを書くなど重複しながらも自分の思いをブログに綴っていたのだけれど、なんだかマンネリ化しているので今回はちょっと趣向を変えてみようと思う。

 

今の自分が、当時を振り返った際の整理のためのメモとして。

 

商社:

仕事自体は面白かった。収入も悪くない。一つの業界スペシャリストとしてやっていく覚悟を考えたとき、自分の関心の方向性とはちょっと違うような、迷いというか、そんなものを感じながら仕事の面白さだけで突っ走っていたように思う。

自分で仕事をコントロールする、というよりは、まさに一員としてエキサイティングな環境に身を投じている実感をやりがいと感じていた(自分の年代で、こんなことやってるやつはいないだろう、的な)。ただ、当時の不況で商社がバタバタ潰れて行く中で、「このままではいけない」と脅迫的な思いが自分を捉えていたような気がする。

 

家電メーカー:

仕事自体は面白かった。収入も悪くない。ただ、大企業の管理職となってゆく際の自分が、仕事に楽しみを覚えられるかどうかという不安があった。自分の年代で同じことをやっている人とたくさん繋がりを持つと同時に、相対化する自分を見ながら「この会社のなかでどうしてゆくか」を考え始めるようになった。そして、自分の「在り続けられる姿」をイメージできなかった。

 

コンサルティングファーム:

仕事自体を面白いとは、実はあまり感じなかった。収入は良かった。ただ、毎日終電・タクシー帰りと言うだけでなく、労働集約的な現場のあり方など、そもそもの「仕事のしかた」がフィットしなかったんだろうと思う。

自分より能力の高い人と一緒に仕事をしながら、自分の差別化ポイントは何なのか、を常に悩みながらアウトプットを出してゆくような感じ。そこに、自分の限界を感じたのだろうか。

 

そして現在(医療系ベンチャー):

仕事自体は面白い。ただし、収入は激減。行政・自治体への提案やコラボレーション、医療機関で実際の患者さんがぼくたちの道具を使って良くなってゆく様子を見ると、貢献している・役に立てているという実感がある。業務時間としてはコンサルファーム未満、家電メーカー以上というところ。もちろん土日も仕事をしたり、仕事のことを考えることは多いのだが、人生の一部のような感じがあり、考えていてもあまり憂鬱になることは少ない。自分で仕事をコントロールしているからか。自分の差別化ポイントとか、あまり考えなくなった。

 

こうして書いてゆくと、人間、「やりがい」を感じられれば所得が低くても(短期的には)くさくさせずに仕事をできるものなのだなと思う。では、「やりがい」とは本当になんなのだろうか。ぼくは、それは「生きる覚悟」に基づくものではないかとさいきん考えるようになった。漠然と社会の枠組みや会社の枠組みで生活している中で、個として埋没するような恐怖感や無力感を感じるから気が重くなる。それは、自分の中に「覚悟」のようなものがないからだとも言える。自分は「こう生きていく」という、誰かにひけらかすようなものではなく、静かな強い信念こそが、逆境にも耐えうる「核」を作るのだろうし、それはすぐにできるものでもない。色々と経験を積む中で、自分にとってその時の最善を選択しながらでなければ、そうした「生きる覚悟」を決めるための判断軸も備わらない。

いまのぼくは、ちょっぴり「生きる覚悟」みたいなものが備わってきていて、そして社会がどう評価するかでなく、自分が満足できるかに向けて、日々を「満足基準」で送りたいとも思う。

 

 

久しぶりに海外出張。

車で国内をうろうろすることが最近の日課だったぼくだが、すごくひさしぶりに海外出張に行くことになった。

1週間ほど、ドイツに行ってくる。

そう言えば前職の時に、クライアント持つ現地法人とその営業オペレーション改善を支援する時に1週間ほど出張して以来なので、まる1年ぶりである。

しかも、行き先はそのときも同じ、ドイツ。

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中国や台湾に毎週、とか、アメリカに3ヶ月、とかが本当にはるか昔のことに思える。

クローゼットからがさごそと引っ張り出してきたhartmannはちょっぴりカビ臭かった。

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ともあれ、海外市場戦略を練る絶好の機会なので色々と現地情報を吸収してくることにしようと思う。

 

 

 
 

サーフボードをDIYリペアする!初体験だけど・・

 

 

http://www.flickr.com/photos/73230975@N03/6813218749

正直に言おう。
ぼくはサーフボードに、あまりお金をかけたくない派である。
初めてサーフィンを始めたのは、15年前ほど。
社会人なりたての時には、ぼくは千葉にある寮に住んでいた。
当然、同期も一緒の寮にいたんだけど、その時の隣部屋の同期は学生時代をスキーで鳴らしたバリバリの「ネイチャー系」だった。
彼があるとき、先輩からサーフィンに連れて行ってもらい、その流れを受けて始めたのがきっかけだった。その時は、「いい板を買え。サーフィンに対するこだわりを持て」という言葉を座右の銘に、ボーナスをつぎ込んではいろんな板を買っていた。
それが幸いして、ボードの特性とか、自分に合うボードの特徴とか、感覚的に判ったような気がしている。
 
ところが、30代の後半くらいからだろうか。
その時ぼくは海外駐在だったけど、レンタルボードでも全然楽しかったり、ボードの個性を味わうことを楽しまなくても、「サーフィンすることの楽しさ」を追求するなら、それほど板にこだわらなくてもよいのでは、と考えるようになった。
 
以来、ぼくのボードは無印良品(ようするに格安)だったり、BicやNSPのような初心者を中心としたものとか、中古ばっかりに傾向が変わった。特に、鎌倉に住み始めてからはその傾向が強いような気がする。夏になればビジターも多く、気がつくとレールがざっくり、、のような「交通事故」もすごく頻繁にあるし、かといってポイントを変えて静かに波乗りするほどお人好しでもないからだろうか。
 
・・閑話休題。そんなわけで、この夏も「交通事故」に合ってしまった。
ただ、案外調子よく波乗りが楽しめるボードだったので、これまではアルミテープを貼ったり、木工用ボンドでごまかす方法を取っていたんだけど、ちょっと真面目に修理してみることにした。
買ったのはこちら。
 
まず現状。ストリンガー近くをざっくりとえぐられてしまった、無残な状態。
 
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こういうのって、陸に上がってから気がつくと、やり場のない怒りがこみ上げてくるんだよねえ。切ないけど、しょうがない。丁寧に油性ペンでコーナーを取っていく。
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次に、大きめのカッターで、2センチ程度の深みを取りながらゴリゴリと「外科手術」を進めて行く。ウレタンフォームは、まるでリンゴのようにさくさくと切れて行く。
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で、まずは一次手術完了。このとき、摘出した周辺には耐水ペーパーの100番台でざっくり板の表面を立たせて(ざらざらに)しておく。これから流す樹脂の接着が増すように、ということ。
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で、次にフォームを適切な形に切り抜いて、整形手術開始。完璧を記さず、ざっくり。
(フォームは柔らかいので、ちょっと厚め・大きめに作っておくのがポイント)
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形が決まったら、レジンと硬化材を混ぜる。
ヨメさんからは射るような目で見られる。つらい。
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ブルーレジン。硬化が始まると、だんだん透明になってゆく。
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次に樹脂がこぼれないようにマスキングテープの位置取り。今回は、ストリンガー近くに亀裂が入っていたので、ちょっと広め。
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そして、下地となる樹脂を注ぎ・・
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ウレタンフォームを押し込む。
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マスキングテープで囲んだ大きさに切ったガラスクロス敷き、上から樹脂を流して行く。ガラスクロスが徐々に透明になって行く様子は結構たのしい。
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一時間経過の様子。樹脂がベトつかず、けれど多少の弾力を持っている状態でマスキングテープをエイっとはがして行く。さもないと、テープも固定されてしまうので。
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まずはここまでできれば、あとは削るだけ。
屋内に保管し、次の週末を待ってごりごりと削って行くのだが、それは次回。
実質要した時間は3時間くらいだろうか。かんたんかんたん。

軽井沢とか安曇野とかに行ってきた。

 
久しぶりに土日がフルでお休みになったので、ふだんは仕事で回っている地域を、プライベートで回ってみることにした。1泊2日、ヨメさんと愛犬も一緒である。まあ、どちらかと言うとお盆としての休みを取れなかったので、その穴埋めとしての土日フル活用というかんじ。
 
ぼくもヨメさんも、そう言えば全然行ってないね、暑いし「避暑」してみようか、という流れで向かったのは、軽井沢。
 
愛犬は車が嫌いで、ふつうの場合、乗車するとすぐに挙動がおかしくなり、ものの30分もすると「えろっ」と食事をお戻しになる。なので、今回は酔い止めを使いながら、適度な刺激(窓からとか、遊びとか)を体験しながらのハラハラドライブでもあった。
 
軽井沢は、いい。こんな沢がある。
 

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空が、大きい。地面と、農作物と、空。 
ふだんは道路と標識ばかり見て走っているので、すごく時間がゆったり流れているのを感じるひととき。
 
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安曇野で、わさび。ミーハーだけど、ちょっと気分が高揚する。
 
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まあ、わさびと言えば大王わさび農場
SUPもボートも、かなり楽しそう。
 
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一息つくのに、ずっと行きたかった「播隆」のお蕎麦をいただきに。
 
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播隆のお蕎麦を食べると全国どこのお蕎麦を食べても、満足できなくなる。
「これまでのお蕎麦とは、次元が違うね」と言うのが、ヨメさんの弁。
ちなみに、ペットNGなので、交互にお店に入っていただいた。
 
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麺が透き通り、グリグリとした食感は、喉通りがするっとしていて本当に別次元。
都内では、決して味わえない信州ならではの本場の味だとおもう。
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ちょうどUターン渋滞がひどかったので、避けるようにして高速と下道を使い分けながら今回向かったのがよかった。 ふだん車では絶対に見ない景色や場所に、きままに立ち寄りながら、それさえも「旅の楽しみ」と割り切ってざっくりとドライブ。
 
ひさしぶりにこういうの、「またやりたい」と思うショートトリップになった。
次も計画してみよう。
 
 

鎌倉に魅せられる昔の仲間たち

ちょっと驚いたことがあった。
 
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さいきんのぼくには珍しく電車で移動し、鎌倉駅から自宅に向かって由比ヶ浜大通りを歩いていた週末のこと。その姿はTシャツ短パンで歩くただの地元のおっさんなのだが、ある店を通り過ぎたところで突然「あきらーーん」と店の奥から呼び止められた。
 
ん?知り合いの声のようなそうでないような・・と思い振り返るとそこには、どこかで見たことのある長身のおっさんが。
 
で、よく見るとだんだん思い出してくるのだけど、ぼくの記憶が蘇るまえに、「おれだよ、大学の同期のAだよ!」と向こうから名乗り出てくれた。その言葉で一気に感覚は大学時代にフラッシュバック。
 
ぼくの学部はそんなに人数が多い訳ではないので、同期はほぼ覚えているのだが、目の前にいる、ちょっと太ったおっさんがその当時の姿にオーバーラップ。
 
「おお、Aか!あれ、新潟にいるんじゃなかったっけ?」と見つけてくれたことに感謝しつつも話し始めてさらにびっくり。
 
Aは、鎌倉につい最近移住したんだそうだ。
 
で、さらに聞くと、同じ同期が数名、鎌倉にAよりも前に移り住んでいるんだとか。
 
都内なら、こういう遭遇はかなりの頻度で起こっていたような記憶があるんだけど、まさか鎌倉で!?それも複数の同期が住んでる?
 
まあ、もともと田舎の大学だったので、どこかに「田舎な生活」への欲求があるのだろうけれど、この確率はすごいなあと思う。
 
子供のことを考えたり、両親のことを考えたりすると、住む場所に対する選択肢はかなりたくさんあるだろうけど、この場所には、そういったものをひっくるめて移住を決めさせる大きな要素があるんだろうと思わずにはいられない。
 
もともとの人口構成が高齢者寄りの鎌倉だけど、こうやってある種の新陳代謝が進む場所っていうのは、新しい何かがそこから生まれるようにも感じられる。
 
ご縁って、本当に自分がどうするかではないんだなあと思いつつ、今度みんな一緒に飲む約束をしてA氏と別れたのであった。